ジョギング・ネタ、ではありません。 のんびり走り始めて約2年、やっと5km≒35分を安定して走り続ける身体ができてきましたが、
それは条件付きで、まず何一つ持たない空身であること、気温27度以下であること、底のすり減っていないジョギングシューズを履いていること。
例えば、食べ過ぎて体重が1〜2kg増えているだけで、あるいは気温が27度を2〜3度上がるだけで、いきなり35分がしんどくなります。
シューズのクッション機能が低下すると足を痛めます。 2年近く、少しずつ健康のために走り続けてこの程度。まぁ45歳だし、お許し願いたい。
さて、一部のネット上では、北の島やら西の島をめぐって戦争しないのは腰抜けだ、という発言が珍しくなくなってきていますが、
果たしてネット上でこの発言をしている人たちは、いったいどの程度、ご自身の身体能力を持ちあわせているのだろう?ということが
ジョギングしながら気になりました。
もし戦争になって戦いが長引き、自衛隊員だけでは間に合わなくなり、自らが召集された場合、
防弾チョッキと鉄のヘルメットをかぶり、銃器と弾丸など軽くても20kg前後の標準装備を身体にまとったうえで、
戦場でどのくらい満足な作戦行動のできる身体を維持している人たちなのだろうか?と。
そもそも戦時下の生活に耐えられるのでしょうか。かつての戦争同様、近海で徹底的にタンカーや輸送船が撃沈されれば、
エネルギー自給率、食料自給率、鉄鉱石などの資源の自給率のあまりに低い日本は、武器の調達は勿論、たちまち生活すら困難になります。
数年前の隅田川だか江戸川でクレーン船が千葉からの送電線を切断した事故のように、首都圏に入るメインの高圧電線の数本が
ゲリラ的に切断されるだけで、首都圏の電力は満足な供給は不能になり、たちまち首都機能は不全に陥ります。
原発事故で東日本が計画停電に入った2年前、電車も止まり、冷蔵庫などの家電もダメ、高層ビルでは、水道のポンプが動かなくなり断水。
ネットにもアクセスできなかったことをご記憶でしょうか。それが常態になった生活を想定できているのでしょうか。
この不況下でなんとか食料に困らないのは、何故か世界的に安定していると思われて続く円高で輸入品が安く手に入ることがあると思います。
これもお隣の国とことを構えたなら、世界市場であっという間に円は売られ、円安になり、食料を国内で賄わなければならなくなり、
ガソリンも高騰、そもそも品不足で大震災後同様にスーパーやスタンドに何時間も並んでも食料・水・燃料が手に入らないようになっても
不思議ではありません。
まわりくどい前置きになったかもしれませんが、文明の発達した現代日本社会でここ十数年指摘されている《身体感覚の喪失》というものが、
自ら引き受けることもできやしない事態を、口先だけの意地と強がりで現実の社会に招きいれる“危険”というか“愚かさ”が、
現実のものとして立ち現れてくるのを感じます。
思考回路が麻痺して感情的な判断しかできないというのは最悪。しかし実際、太平洋戦争も「やっちゃえ、やっちゃえ」という雰囲気で開戦への
流れができたそうです。長期戦に対する何のプランもないまま、開戦時が戦力最大で後は消耗していく一方、というのは、いかに
理性的なプランが欠如していたか、ということの証明になりましょう。
アメリカは戦争中でも産業を発達させ、開戦当初とは比べ物にならない戦力を終戦時には獲得していました。
その前車の轍を踏む、というのでは、あまりに進歩のないことですが、感情論が優先するようでは、進歩を望むほうがおかしいかもしれません。
また、こうした事態を現実に感じるようになってやっかいだと思うのは、これまでの平和な社会で不遇されていた右寄りの方々にとっては、
事態が悪化したほうが彼らにとって心地がいい、という点です。本当に戦になったら、彼らこそが真っ先に逃げ出すのかもしれませんが、
とりあえず、愛国心の自己申告合戦で優位に立てることを快く思える状況を生み易いと感じます。
ナショナリズムを煽り立てることで、自分の地位を上げようとする輩がわらわらと湧いてきているここ数日の状況は、
とても笑えるものではないと思います。